書ききれない、心からのつぶやきを。

Twitterやメモだと、、。

なので長すぎるものだけ。

 

しかもなにかのときだけかくブログにしようと思います。

 

タイトルどおり。

あとは蛇足(しょーもないもの、人によっては大事だけど、大勢多数というか一般大多数の人間には必要のなさそうなもの)です。やぶ蛇(やっちまった!見ちまった!自分の中だけてえへんだ!!!)かもしれません。

 

 

見たい人だけどうぞよしなに。

 

 

 

⚫先程(上の方にある~~思います。)の続きとして。

 

例えば〇〇なう。だけだったTwitter

今では大切なツールのひとつです。

 

良いも悪いも。

 

…??(くえすちょん、発音もくえすちよん、私発音です。通常の何となく感じるであろう疑問符の使い方ではなく、「𝙌𝙪𝙚𝙨𝙩𝙞𝙤𝙣 」とわざわざ言葉にしていると思ってください)

 

 

良い。とは…。「よい」「いいこと」、嬉しくなることとかかな。やっぱり。

 

まぁ嬉し楽し、誰が見ていなくても、発信したその瞬間、文字を書いてる、写真を編集なり選んでいるその短い時間は、暖かい綺麗な気持ちが溢れているんだろうから、良いはよいでいいんじゃないかなと思う。

 

人を嘲ったり、人の不幸は蜜の味なんかの…。

 

その本当の思いや、あとから思う、ホントの優しさ、、、は別として、、。

 

心が汚くなる、醜く歪んでいく様な、「僕の考える間違った想いや想像からの喜び」の様なものは良いとは言えないかな、、とも思う。、

 

それこそどこかで寂寥と言えるような関係が…。

寂寥「【感】」と、実際に体験したからこその思いがあるのか…。はいいか。

まいかい「こう…」「あれ?」「せ?、よし単語調べよう。何回目やねん…」となるこの単語をわざわざ書く意味。大事なのです、自分のなか、自分だけのなかだったとしても。

自分だけ、じゃないとは思うしね。… 

 

この思うしね、も思う、死ね、と。

しね、をしね…と脳内でどうするどうする?(以後こちら通常の疑問符)と、その「思うしね」、という何気ないことばを「思うし、ね」とキレイめな、美人さんかかわいらしい乙女が書きそうな「私〇でしょ」と云々。結果しねがゲシュタルト崩壊起こしそうな人とかにはわざわざ寂寥という文字や単語、その意味合いや想像できるなにかを考える機会になって良いと思う。

 

寂しいと淋しいの違いから、Difficult、難しい、きつい、などよりもむしろDIFFERENCE、の様にあくまでも別個のもの。

あくまでも違うものとして、越えられない、壊せない、お互いに理解はさておき文字だから、一緒のものでは、同一のものではないものとして、考えてみたらー?とか考えてみたり…

 

ともあれ物悲しいというよりも、さびしみの様な…。

他の人から見てふと…、というような…。

 

先に書いた様な、間違った人、間違えてしまった人、と面して話す優しい人、本来は優しい人、ぼくは誰と話してもそう見えてしまうからそうとしか言えないんだけどね、、、。

 

にうっすらと感じる、、その優しいであろう人に浮かぶ、あくまでも同情から、と分かってしまうようなかなしい表情や顔の動き、そして浮かぶ少しの涙。かなしみの。

 

分かっていると勘違いして、それこそその人人の為、絶対最後は分かるはず、と更なる勘違い。

結果更に哀しみを。

憐れみからの少しの連鎖を。

 

その少し寂しい、暖かさに少し隠れる…、

それこそさびしみを含む悲しく感じる声色と、目に浮かんでくる互いの涙。

 

そして…。

 

その時ようやく優しさを思い出すのかな。

 

そういうときに使う言葉、思うことが寂寥なんだろうかと、これを見るかもしれない、子の文を書いているこの瞬間を知っている人達に対して思ってしまったこと、感じてしまったことが「寂寥」または「寂寥感」と書いても良いのかなとふとおもう。

 

 

はさておき良い悪いの良いについて考える。

「普通」の良いはどうでもよいな。

 

朝の8時だアラームなった

 

…このダメだと思う方の「良い。」はどうなんだろう。

僕は間違ってると感じて、色々考えた結果、「間違っている」としか言えないそういうもの。

あくまでも最後の終着点がそこである場合だけれども…。

 

 

なおここで今後ボイスによる便利な文章の作成云々はさておき、終了や区切り以外でもドット(.)を使うことを明記しておきます。

 

 

閑話休題、サブタイトル「Twitterやってみて良い、と言えたのかな、、、と思えるひとつ」

 

 

「…どうか、どうかお願いします」と、決して悲しんではいけない内容の様な、マイナスの感情や無駄な水分消費を生む残念なもの、、ではないな。

 

1人だけでも…、や、大勢の中にでも…。

 

「何か」、「なにか」、ぼくなら途中か最初でつい口に出す「なんか(関西人なの)」、や「誰か…」「他に…」「せめて…」と悲しく1人思うだけ、、からのその話。

 

ただ思うだけ、では意味がなかった。あくまでも伝わるかなしみの。そして生まれるなんやそれからの更なる苦しみ。ぼくとしてはだけれども。抽象的にしかかけないけれど、今の生活望んじゃいない、貧乏は敵。あくまでも金銭面として。ぼく頭の中身や考え方は決して貧ずるは鈍ずるしてないから。

 

あとで送りがな調べよ。あってるか間違ってるかわからん。リアルにわかんない。覚え違い含めて記憶で来ていないことからの頭の悪さを原因として、きちんと使えていなかったから。説明もできないのは終わってる。

書いといて今それをしないのは僕の私の意地であり、今もなお人を恨んでしまっている自分自身への、自分を客観視しての哀しさからくるもの。

 

そして本題?サブタイかな?の続き。

 

思うだけじゃ「何かが変わった気がする」だけだったそれ。

 

そして「口に出すだけ」

そして「書くだけ」、、、これはあくまでもぼくが書くだけ、の発信者ではなく、つぶやく側ではなく、つぶやきを耳に入れてしまった、たまたま聞いちゃった人として、場合によっては「みてしまった」人として思うこと。

 

一瞬だったとしても。直ぐに、消したとしても。そこの思いは別として、記録は遺るから、残るからとかけないくらいに強く残るものがある。そういうものと思っています。Twitterさんについてです。そんなもんです。

 

は、おいといて…。

 

→私の「おいといて」は「そこでそのまま留めておいて、いつかどこかでぼくかだれかが拾うから、いつかどこかで、いつになっても拾うから」というものです。対象から「忘れないで!」と怒られた事もあるけどね…不思議に恐怖した内容で…

🙃🙃🙃🙃🙃🙃

後ほど小さくする。ぼくだけのことだから。

🙃🙃🙃🙃🙃🙃

 

大事なことだと思う…。その後に続く短い未来が悲しいものだったとしても。

 

それでもなにかが起きるかも、起きてほしいと願った後で、起きたかもしれないと。

その人たちの顔さえも覚えていないこのぼくが、関係ないはずの、知らない人のはずの嬉しい結果と想像してしまうそれに喜んだこともあったりするのだから、一概に悪いとは言えないかも。

 

良かったとの反対の…

 

よしちゃぶ台よろしくどうぞ。

 

ちらかった。

 

 

文字数が多すぎて書ききれないうえ、暗号やらわかる人だけに分かってもらえればとか、知ってる人は僕のことを知っているから、信じてくれているはずとか、結局そうではなかった事から悲しい事ばかり。

 

なので、曖昧な暗号や合図等一切入れず、普通に思ったことを随筆(枕草子さん的な毎日日記ではなく、心の内やら無駄な描写入ってるぼくくん日記として。)風にかこう。

 

随筆ふう、なのは、毎日や頻繁(大阪?だとしょっちゅうでも)どころか、心で強く思った事や「決めた!書き切る」という時にしか書かなさそうだから。

 

そんなこんなで適当に書いていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

追伸

適当とは、「適当に適当する」です。

考えてください。どうせ1部しか見ないだろうけど、考えることは大切かなと思うので書いておきます。見た人がなにか感じた時、その時ぼくはもういないかもしれないけれど。